歴史食い倒れ紀行

以下の事を発信できればと思います。 ①歴史の中で人々が何を考え、どう行動したか。 ②変化の激しい現代社会だからこそ、変えてはいけない本質的なもの見つけること。 ③地方に隠れた、歴史や文化、魅力を発掘し発信すること。

【時代旅】~弥生時代編①~ 吉野ケ里遺跡

 

あけましておめでとうございます。

歴史食い倒れ紀行、宣言通り弥生時代からスタートしたいと思います。

記念すべき第1回目は、吉野ケ里遺跡!

1.今回の降車駅(JR久留米駅)2.吉野ケ里遺跡の探索 3.今回のグルメ(豚骨ラーメン・菱焼酎)

の順にまとめます。

 

1.今回の降車駅(JR久留米駅)

最寄り駅はJR吉野ヶ里公園駅からすぐなのですが(こちらからの行き方をおススメします。笑)、別用があったのでJR久留米駅からJRバスで50分ほどかけて向かいます。

久留米は、田中久重(通称儀右衛門)の生誕の地とのことで、立派なモニュメントがありました。なんでも、東洋のエジソンと呼ばるほどの偉業を残した方らしいですが、このお話はまた別の機会に。

あと、久留米は豚骨ラーメンの発祥の地らしいです!今回のグルメ候補ですね♪

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JR久留米駅改札前 ほとめき広場

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JR久留米駅前からくり儀右衛門モニュメント

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久留米は豚骨ラーメンの発祥の地だったそうな。

2.吉野ケ里遺跡の探索

いよいよ、到着。入口から5分ほど歩くと、歴史公園センターと券売所があります。

大人(15歳以上)は460円。中学生以下は無料!駐車料金は310円。

(2020年1月現在)

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吉野ケ里歴史公園入口

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歴史公園センター(東口)

歴史公園センターから天の浮橋を通って公園に入ると、環濠入口広場になります。

①環濠入口広場→②南内郭→③北内郭→④甕棺墓列→⑤北墳丘墓→⑥弥生くらし館(環濠入口広場付近)というコースをとります。

地図は下記のリンクからご確認ください。

http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=3

①環濠入口広場

吉野ケ里の一帯に「ムラ」ができ始めたのは、紀元前5~2世紀ごろ(弥生時代前期)と言われています。吉野ケ里遺跡の特徴としてあげられる重要ポイントの一つとして環濠があります。

環濠とは、居住地域を囲むように土を掘って作られた深い堀の事で、外敵や野生動物の侵入を防ぐ目的があったと考えられています。更に、吉野ヶ里遺跡に於いては、この環濠の土手に斜め向きの穴が空いていた事から、木の棒を外向きに刺して防御機能を強化する、逆茂木と呼ばれる設備もあったと考えられています。

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環濠入口

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逆茂木

吉野ケ里遺跡のこうした遺構からは、戦の気配を感じることができます。一般的に、弥生時代は戦の多かった時代と言われています。その主な理由として挙げられるものは、稲作の普及です。

稲作は縄文時代後期に、中国大陸や朝鮮半島から入ってきました。弥生時代に於いてこの技術が広まるにつれ、それまでは狩猟や木の実の採集が主だった移住生活が、農耕を主とする定住生活に変化しました。これが「ムラ」の起源です。この「ムラ」の中で農業の知識に優れたものが上に立つことで権力者が生まれ、更には、安定した収穫がある「ムラ」が、周囲の「ムラ」を従えることで「クニ」に成長していきます。(吉野ケ里の集落は5,6個の集落を従えていたと考えられており、5,000~6,000人の人口を支配下に置いていたと考えられています。)

この過程では多くの争いがあったと考えられ、こうした弥生時代縄文時代に比べ、格段に戦の多かった時代であろうと推測されています。

 

②南内郭

南内郭に入ると、物見櫓竪穴住居が姿を見せ、いよいよ弥生の世界にタイムスリップしたような風景になってきました♪

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南内郭入口

物見櫓は、別の遺跡で発掘された土器に描かれていた絵を参考に復元されたとのことですが、吉野ケ里遺跡で発見された遺構の柱の跡太さから、12mもの高さのものが展示されています。

竪穴式住居は、形式としては縄文時代のものが、ほぼそのまま踏襲されていたと考えられています。地面を1mほど掘り下げた上に、柱や葦で作った屋根などを組み立てて作っています。

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物見櫓と竪穴式住居

吉野ケ里遺跡では、王や支配階層の人たちの住まいがこの内郭に集中していたと考えられています。
当時行われていたと思われる暮らしぶりや道具の数々が、人形や復元された模型を使ってリアルに再現されていました。

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竪穴式住居に展示されている人形

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竪穴式住居に展示されている、儀式に使われていたという道具

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石包丁。これで稲穂を刈り取ったようです。半月型をしていますが、出土した地域により傾向があり、九州は丸側に、関西は直線側に刃があるそうです。

③北内郭

北内郭は、この地域一帯を取り仕切るうえで、最も重要な役割を果たしていたと考えられています。外から中が見えないように、板状の柵が隙間なく並べてあります。中に入ると、主祭殿高床建築が見られます。

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北内郭入口。他のセクションとは異なる、どことなく神聖な雰囲気。

高床建築は、一般には倉庫や儀式の場所として使用されていたと考えられていますが、主祭殿の直ぐ傍にあったものは、普段人前に姿を見せない聖職者の住居だったと考えられています。

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高床建築。倉庫や聖職者の住居、祭殿に使われたと考えられています。

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聖職者の住居。古代中国や少し後の時代の日本の文献を元に推測しているそうです。

主祭殿は「北にある墳丘墓(王の墓)と普賢岳を結ぶ南北の線」と、「冬至の日入と夏至の日出を結んだ東西の線」が重なる場所に位置し、重要な行事や、稲刈りなどの農業の日程を決める等の決定を下していたと思われます。主祭殿に入ると、当時の祀りの様子が再現されています。

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主祭殿

この区画には他にも複数の祀りのための施設が復元されています。案内のボランティアをされているおじさんのお話では、これらの建物の東西南北の配置は、中国の当時の形式と酷似していて、この地域は大陸文化の影響が非常に濃かったことを示唆しているとのことです。

これほどまでに繁栄した吉野ケ里の集落も、古墳時代になると支配者としての機能を突如失ったとのことです。おそらく他の強力なクニの傘下に降ったのでしょうか?それとも他のクニを従えながら拡大する中で、遷都したのでしょうか?邪馬台国と何かが関係あるのでしょうか??何が起きたのかを示す資料は全くなく、現在でも解明されていないとのことです。こういったミステリーもまた、想像を掻き立てられる歴史のロマンですね♪

 

④甕棺墓列

吉野ケ里遺跡にあったと考えられるムラの中で、人々の日常生活は北内郭以南の場所にありました。

北内郭以北に位置する、甕棺墓列や北墳丘墓は全てお墓で、当時の人々にとって神聖な区画だったと考えられています。

まず、北内郭から出てすぐに広がっている甕棺墓列は、一般庶民のお墓だと考えられています。土器が綺麗に残っている甕棺は、酸性の土壌に分解される事がなく埋葬された骨が綺麗に残っており、貴重な考古学資料となっています。頭部の無いものや刀傷の多い骨も多く、「戦の多い弥生時代」を裏付けるものとなっています。また、規則正しく整然と並べられているその光景からは、当時の人々が死生についても深い考えを持っていたのでは、と考えさせられるものがあります。甕棺墓列には南の居住地域からだけでなく、吉野ヶ里遺跡の外からの道もあったことが確認されており、周囲から多くの人々が参拝に訪れたのではと考えられています。

 

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甕棺墓列。甕棺は九州北部によく見られる特徴とのこと。土器の中に身を折り曲げて埋葬されています。

⑤北墳丘墓

そのまま北に5分ほど歩くと次に見えてくるのは、北墳丘墓。ここは、盛り土して作られた人工の丘になっています。戦国時代には山城として使われた経緯もあって、地元の人も近年までそこに弥生時代のお墓があるとは思っていなかったようです。

1970年代に工業団地建設計画の過程で一帯から多くの甕棺が見つかった事がきっかけに、本格的な調査が行われました。盛土には様々な種類の土を幾重にも重ねて塗り固められた、弥生時代としては他に類を見ない高度な建築技術が用いられ、中国大陸からの技術の輸入があったと考えられています。

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北墳丘墓は、内部を中空にした状態で展示されています。まるで兵馬俑を見ているかのような迫力!この遺構を展示の状態で維持するためには、建築に重要な基礎を築くことができないため、オクタゴン構造とそれに伴い発生する張力に強いプレストレスト・コンクリートという特殊技術が用いられています。また、空調設備も完備してあり、湿度・温度が常に管理されています。

 



墳丘墓の中からは、多くの甕棺が見つかっています。特に身分の高い人が埋葬されたと考えられていて、有柄銅剣や、世界でも類を見ない程の数のガラス管玉等、副葬品と見られる貴重な遺産が沢山見つかっています。

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有柄銅剣

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ガラス管玉

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特に豪華な甕棺には数多くの副葬品が供えられていたり、内側に赤い塗料が塗られていました。この塗料は朱丹とも言われ、硫化水銀でできた水銀朱です。水銀は熱を加えると固体→液体→固体→液体と姿を変えることから、中国では輪廻転生・若返り・不老不死の薬であると信じられていました。秦の始皇帝が不老不死を追い求めて水銀を薬として摂取したために寿命を縮めたといわれています。この甕棺の水銀朱にもその文化の影響を見ることができます。

⑥弥生くらし館

ここでは弥生時代の生活の体験ができます。

匂玉づくり:200-250円

火起こし:100円

土笛づくり:100円

今回は、火起こし体験をやってみました!

木の板に、専用の道具を使いながら木の棒をグリグリと押し付けて回して、生まれる木屑が摩擦熱を持って煙を上げるまで続けます。

(ここに至るまで、小・中学生に混じって20-30分ひたすら必死に木の棒を回し続けました。笑 翌日しっかり筋肉痛になりました。( ;∀;))

木屑が煙を上げ始めたら、麻ひもに木屑をかけて息を吹き込むと勢いよく燃え上がりました!

現代は火を起こすことはこんな重労働にはならないし、着火時の火の勢いは危うく手が火傷しかけるほどで、自然の力を生かすことは本来これほど難しいことであることを再認識しました。今の文明・社会・生活は、過去の人々の生活の知恵がいかに蓄積されてできているものであるかを考えると、感慨深いものがあります。

写真撮る余裕がなかったので、興味のある方は是非、youtubeで「吉野ヶ里遺跡 火起こし」で検索してみてください。体験動画を載せてる人が沢山います。(`_´)ゞ笑

 

3.今回のグルメ

今回の紹介するグルメは、大久ラーメン肥前佐賀 神埼菱焼酎です!

大久ラーメン吉野ヶ里遺跡からJR吉野ケ里公園駅までの道中にある豚骨ラーメンのお店。14時に行ってもなお、お店の前に行列が出来ていて駐車場も満席!これはアタリのお店の予感!

ラーメンは500円、ラーメンセットは800円、ギョーザは350円!とっても安い!

今回はラーメン+替え玉、ギョーザを注文しました!ラーメンは美味しい豚骨独特の臭みやコクもしっかりありながら、スープは滑らかで後味もスッキリ!表面に所々浮かぶ泡が、クリーミーさを物語っています。ここ最近で食べた豚骨ラーメンの中で一番美味しい!

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大久ラーメン、地元でも大人気だそうです!

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ここ最近で食べた一番おいしい豚骨ラーメン!!


肥前佐賀 神埼菱焼酎は、お土産屋さんで発見!福岡国税局の酒類鑑評会で「金賞」を受賞したとのこと。材料の菱の生産量の関係で年間2000本程度しか作られない希少なお酒だそう。地元の菱の実米麹脊振山系の伏流水を使った焼酎だそうです。焼酎ならではのパンチがありながら、菱と米糀の、日本酒にも似た甘い香りがあります!私は日本酒は好きで普段からよく飲む一方で焼酎はあまり飲み慣れていないのですが、この焼酎はすごく飲みやすいです!

 

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肥前佐賀 神崎菱焼酎!!

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(あとがき)

 

以上、第一回の記事でした!

吉野ヶ里遺跡には、今回行った場所のほかにも、村や市場の復元ゾーンや、原生林の再現を目指した古代植物館等、面白そうな場所がまだまだ多くあるので、折を見てまた行きたいと思います。

記事の書き方ですが、最寄駅から実際に回った場所を順番に書いていった事で、若干回りくどくなったかと思います。旅行記調で書きたいと思っているので、敢えてダラダラと書いているところもありますが、長すぎるようであれば、前編後編のように分ける事も考えたいと思います!

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余談:その時世界では
吉野ヶ里遺跡が栄えていた時代、世界史では、紀元前5世紀にアケメネス朝ペルシャvsスパルタ・アテネペルシア戦争、前4世紀にアレクサンダー大王帝国、前3世紀に秦の始皇帝が中国を統一していた、そんな時代です。