歴史食い倒れ紀行

以下の事を発信できればと思います。 ①歴史の中で人々が何を考え、どう行動したか。 ②変化の激しい現代社会だからこそ、変えてはいけない本質的なもの見つけること。 ③地方に隠れた、歴史や文化、魅力を発掘し発信すること。

【商人旅】〜会津商人篇③〜 会津の旅の足跡(前編)

今回は、前回記事での宣言通り、白河での観光を終えてから会津若松への旅について語って行こうと思います。(白河の観光はこちらのリンクをご覧ください!)

 

またまた記事が長くなってしまいますので、2回に分けてお伝えします。長くなってしまい恐縮ですが、どうぞお付き合いください。m(_ _)m

 

・前編(商人巡り)

 1日目:大内宿・会津珈琲倶楽部・割烹田季野
 2日目:まなべこ・福西本店・清水屋跡・なかじま(カツ丼)・会津若松城

・後編(歴史定番スポットとグルメ)

 3日目:満田屋・飯盛山・御薬園・白木屋・會津酒楽館・渋川問屋

 

1.一日目

①大内宿

白河を13時ごろ出て、会津若松に続く道を2時間ほど進んだ中間地点に、大内宿(おおうちじゅく)という江戸時代に栄えた宿場町が遺っており、立ち寄りました。

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大内宿のオススメの写真スポット!江戸の雰囲気がよく出ています。

この地は、鎌倉〜戦国時代まで、藤原氏(秀郷の子孫)の子孫である長沼氏の支配下にありました。しかし、戦国時代に関東公方家と室町幕府の内乱である享徳の乱に巻き込まれた際に、滅亡してしまいます。

江戸時代に入ると会津藩領に組み込まれ、会津から江戸へ向かう道中に位置する宿場町として繁栄します。江戸時代は日光地震戊辰戦争も生き抜いた大内宿ですが、明治維新に入ると、新たな街道・鉄道の整備の中で近代化の波から取り残されてしまいました。しかし、そのことが却って、見事な茅葺き屋根の伝統的な町並みが残る要因となったのです。1981年に、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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大内宿のメインストリート。お土産やさんや蕎麦屋さんが立ち並ぶ。

 大内宿に着くと、まず山形屋さんで遅めの昼食(ねぎ蕎麦・イワナの塩焼き)を頂きました。

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麺が太めで固めに茹でてあります。出汁は素朴な味。ネギは少し辛かったですが、合間に味を変えるにはちょうどよかった。笑

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子持ちイワナの塩焼き。頭からガブっといけば、川魚の割に脂の乗った味に内臓の苦味と卵の香ばしさがGood!!!

続いて大内宿町並み展示館に行き、大内宿の歴史・昔の生活用品・茅葺き屋根の手入れ方法など、様々な説明を学ぶことができました。決して贅沢とは言えない生活様式の中に、豪雪地域の厳しい自然環境の中でもたくましく生きていた人々の息遣いや生活感を感じられるような、臨場感あふれる展示でした!

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大内宿町並み展示館には、茅葺き屋根の作り方や当時の日用品などの紹介がされている。

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茅葺き屋根の作業の手順が詳しく書いてあるパネル。他にもブースで実際の作業の様子が上映されています。



 

会津到着!会津珈琲倶楽部でコーヒーブレイク & 田季野輪箱飯で晩御飯

会津若松の町に入ると、いかにも城下町というような、同じようなやや狭めの幅でジグザグした道と、同じような広さの土地に建った建物が並ぶ街並みになります。(この独特の街並みの成り立ちについては前回記事ご参照ください!)

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会津若松城下に入って最初に印象に残ったのは、鉤の手十字路。蒲生氏郷公時代の町割りが見られる代表的な場所です!

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鉤の手十字路は、大町四つ角と呼ばれ、歴史の雰囲気のある商店街になっています!

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清水屋旅館跡。吉田松陰土方歳三新島襄・八重夫妻が訪れた記録があるそう。現在は大東銀行の建物になっている。



お昼が遅かったこともあり、お腹が空くまで會津珈琲倶楽部にて、素敵なコーヒーで一服。フェバーのようなシックでおしゃれな雰囲気で戴く一杯は、旅行気分を盛り上げてくれます!そして、ここのBGMが、1950〜60年代の古き良きアメリカの音楽で思わず聴き入ってしまい、その場で旅の想い出にダウンロードしました。笑

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会津珈琲倶楽部。綺麗な内装と拘りのコーヒーをいただきました。

さて、18時になりお腹の減りもいい具合になってきたところで、会津での最初の晩御飯に向かうことにしました!向かったのは、会津の歴史と文化を味で体感できるお店、ということで、会津郷土料理の輪箱飯の専門店、田季野輪箱飯さんです!店構えから歴史と拘りを感じることができる、重厚感溢れる料亭です!www.takino.jp

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田季野輪箱飯さん店内の様子。参勤交代に使われ、戊辰戦争の爪痕を遺す糸澤陣屋を移築した建物。陣屋時代には土方歳三も休んだとのこと。

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会津名物曲げわっぱの中にご飯を入れ、その上に海の幸・山の幸をふんだんに乗せた蒸しご飯。具材にその旨味が濃縮して閉じこめられている。一方でお米にはあまり出汁が染み込んでいる訳ではなく、それが却ってご飯本来の美味しさも損なわずに維持してある。ご飯と具材の存在感が両立している贅沢な食べ応えの逸品!

この輪箱飯は、噛みごたえのある会津若松の文化と歴史を象徴しているようで、これからの旅に向けてワクワクが増す素敵な晩御飯でした(^ ^) 

 

会津若松市歴史資料センター「まなべこ」

 

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会津若松市歴史資料センター「まなべこ」正面写真

今回の会津若松の旅の本番はここから始まったと言っても過言ではありません。旅の2日目のスタートは、会津若松市歴史資料センター「まなべこ」様からです!

この資料館では、会津商人の歴史を中心に、郷土の特産品・偉人や江戸時代の町割りなど、貴重な資料が数多く展示されています。また、会津観光情報もあり、旅の計画を立てる為にも是非とも訪れて頂きたい場所です!!

資料の展示は一つ一つがカラフルでメリハリも効いていて、とても見やすい内容となっています。歴史に詳しい人もそうでない人も、会津について楽しんで学べる素敵な資料館だと思いました!

まなべこ館内のご案内 | 会津若松市歴史資料センター まなべこ

 

 

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江戸時代の会津若松の主な城下町。江戸時代、会津の名君と呼ばれる殿様は皆商業の振興に尽力しました。

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現在もお土産やお食事処が並ぶ七日町の、商家の店舗一覧が見れます。全国各地の地名に由来する屋号が多く見え、各地の商人が会津の地を有力な売り先として評価していたものと思います。当時の広告の役割のあった絵札はとても華やかで見応えがあります!また、右奥のパネルには、会津の偉人達の紹介があります。

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会津の特産、にしんの酢漬けと田楽。因みに器も、会津名物本郷焼き。

 今回は、会津商人を訪ねるというテーマで、会津若松を訪れたのですが、会津の商業について、貴重な情報を数多く伝えていただき、実りの多い取材となりました!!

 更に会津商人について深く学ぶために、その足跡が伺える歴史スポットとして代表格といっても過言ではない、福西本店様に向かいます!!

 

④福西本店

福西家は、会津において、江戸時代は綿古着を取扱う商家として活躍し、明治時代には問屋業・味噌醤油・漆器にも幅を広げ、最盛期には会津地方の銀行・鉄道・水力発電に強い影響力を持つ随一の豪商となりました。

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福西本店の正面。黒壁のシックな外観と明るい木と瓦の赤茶色のコントラストがおしゃれな建物。大正時代に現在の姿になったとのこと。まさに大正レトロの風情です。

この福西家が会津に来ることになった歴史的背景は大きく二つあるといわれています。一つ目は、戦国〜江戸初期に会津を支配した蒲生家とのコネクションです。福西家のルーツは、大和国(現在の奈良県)の宇陀郡福西(うだぐんふくにし)にあったとされます。同地は、古くから近江日野との繋がりが深い地域で、蒲生家とも浅からぬ縁があったと言われています。検断として大きな力を持っていた簗田家から、当時の城下の一等地に大きな間口を与えられるという破格の扱いもこれを裏付けていると思われます。

因みに、福西家は室町時代に権勢を誇った播磨守護の赤松氏の中に、大和国に領地を与えられ福西の姓を名乗った一族があり、その末裔と言われています。

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家の中で見つけた三つ葉柏の家紋。大和郡山藩主柳沢家から拝領したとのこと。発祥の地である大和国ですでに政界に強いコネを持っていたと思われます。

二つ目は、初代福西善照が仕えていた堺の商家の藤井家が、会津若松へ支店を出すにあたり任されたことが発端とされています。この藤井家は、古着を扱う商家で、かの有名な鴻池家とも張り合えるほどの商勢があったと文献に記述されているそうです。

幕末の戦火に巻き込まれ、会津藩へ用立てた資金の貸し倒れや、略奪の被害で苦境に陥りますが、明治〜大正にかけて7代妻イネ・8代善運・8台妻フサの元で見事立て直し、一族の多くを地元の有力な商家を継がせるなど、最盛期の下地を築きます。現在にも残っている風格ある店構えは、この時代に作られたものです。

そして、9代の善真は、会津銀行の設立や鉄道・電力業にも手を伸ばすなど、福西家の最盛期を現出し、会津有数の豪商となります。 

しかし、10代善徳以降は芸術方面へ出費がかさみ、それ以降の店主も早くに亡くなるなど、商勢が再び戻ることもなく、戦後日本の社会変動に適応できないまま、会津若松まちづくり(株)に家を譲り渡すこととなりました。 

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福西本店の内部の様子。木材の暖かい色調に囲まれて、大正ロマンの時代にタイムスリップしたような感覚になります!

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福西家は、江戸時代の多くの商人と同様に、浄土真宗を信仰する商家でした。家の中に仏間が作られており、親鸞聖人の真筆とされる書が掛け軸として展示されています。

 

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左の寄木細工飾棚は、パリ万博に出展されていたものを、福西家が買い求めたとのこと。

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大広間には、当時の最高級の木材がふんだんに使用された重みのある空間となっている。

 

5.なかじま(カツ丼)・清水屋跡・会津若松城

さて、取材をしっかりさせて頂き、お腹が減ったところで、この日の昼食は、会津若松ソウルフード煮込みソースカツ丼!大正〜戦後にかけて東京の洋食文化を取り入れ、ソースで煮込むアレンジを加えて完成したのだそう。

今回は、福西本店の方にオススメ頂いた、なかじま、というお店でいただきました!こういうのは、地元の方にお聞きするのが一番ですね!!

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ソースは甘口で出汁に近い感じ。卵とカツを一緒にソースで煮込んでいるよう。ソースの味が染み込んだ卵が全体に広がることで、満遍なくソースの味が行き渡っている。肉も脂気や筋が少なく食べやすい。米の香りも良く最高!!

 

 6.会津若松城鶴ヶ城

腹ごしらえを済ませると、満を持して会津若松城鶴ヶ城に向かいます!

鶴ヶ城は今までの記事にも書いてきましたが、会津の誇る難攻不落の名城です!元は蘆名氏の居城、黒川城として14世紀から会津の中心地として栄えていました。蒲生氏郷会津の地に来て改築し、加藤家の時代に現在の姿になったとのことです。

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会津若松城鶴ヶ城)の全貌!(スミマセン、この写真、3度目の使用です!(;▽;))

7層の壮麗な姿で権威の象徴としての役割だけでなく、会津戦争においては新政府軍の猛攻にも1ヶ月耐えた、文武を兼ね備えた日本屈指の名城です!

明治に入って取り壊されましたが、その後、人々の寄付により昭和40年に蘇り、平成23年には幕末時代の赤瓦を再現した姿になりました。そして、最上階では、会津の城下町を一望できる絶景が見えます!!

 

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会津若松城から見下ろした景色です!壮観!ここから見れば貴方も大名気分?!(;▽;)

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会津若松城から見下ろした景色その2。 城の上から町を見下ろすことは旅行すればちょいちょいあるのですが、特に見応えがある気がします。城の高さといい、町の規模の大きさといい、きっと一番見応えのあるバランスなんでしょう!



さて、今回の記事は、会津旅行の1〜2日目をまとめました!会津商人にスポットを当てた旅にしようと計画を立てていたので、計画的に巡ることができたと思います。

まなべこ様で展示されていた、藩校の設立に会津商人が携わったエピソードや、福西本店の地域に根ざした商売の歴史などを見ていく中で、今まで見てきた地方の商人たちの中でも、特に会津商人は地元への忠誠心や愛着が強い商人であると感じました。

(その歴史的背景については、前の記事にても考察してみましたので、是非読んでいただければと存じます!)

 

この日は、まなべこ様と、福西本店様を立て続けに取材にお伺いしたのですが、非常に密度の濃い取材となりました。このような無名の駆け出しブロガーのためにお時間を取っていただき、大変有り難い限りでした!本当に有難うございます。

次の記事は、会津編の最終回、旅の3〜4日目の内容になります。乞うご期待ください!!

 

余談:その時世界では

会津若松城が、明治新政府軍と会津藩の激戦となっていた1868年、アメリカでは米国憲法修正第14条が批准されました。南北戦争が集結して3年が経ち、元奴隷の権利を確保することを意図して作られた条項となります。しかし、南部の社会では引き続き白人とそれ以外の人種の隔離が維持され、KKKなどを生み出す土壌となり続けました。これらの問題の改善は、1950年代のキング牧師の活動に代表される公民権運動までなかなか前進することがありませんでした。