【青森・函館旅行日記 1日目】青森市編②
1.ねぶたの家 ワ・ラッセ
お昼過ぎに青森空港につき、シャトルバスで40分ほどかけて青森市へ。雪国らしいアーケードがついた商店街がメインストリートとなっています。駅近のビジネスホテルにチェックインを済ませて、青森名物ねぶた祭りに関連する博物館「ねぶたの家ワ・ラッセ」に向かいます。
▲青森空港から青森市街地へは、JRバス東北のシャトルバスがオススメ。30分〜1時間に1本、710円で運行しています。
「ねぶたの家ワ・ラッセ」は、ねぶた祭りの魅力を1年間通じて伝えられるように、というコンセプトで2011年に造られた施設です。“ワ“はねぶた祭りによって育まれる人の輪や和、“ラッセ“はねぶた祭りの特徴的な掛け声である、「ラッセラー!」という掛け声から名付けられています。
▲右側の赤い建物が、「ねぶたの家ワ・ラッセ」大人は620円・高校生は460円・小学生以下は260円。夏場は18時台でも入場できるのが旅行客には有り難い。
入場料を払うと、まず2階のねぶた祭りの歴史紹介から始まります。ねぶた祭りの起源は明確に解明されているわけではなく、いくつかの説が存在します。
・平安時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷を提灯や太鼓や笛で誘き寄せて討伐したことが起源とする説。
・奈良時代に、中国から入ってきた七夕の節句が、日本の棚機津女(たなばたつめ)の神話と合わさり江戸時代に広く庶民に広がっていく過程で、青森ではねぶた祭りとして定着したものとする説。
・江戸時代初期に、弘前藩の初代藩主津軽為信(つがるためのぶ)が、お盆の時期に京都滞在した際、大きな提灯を飾らせたことが評判となったことを起源とする説。
などの説があります。
▲金魚ねぶたに誘われてタイムスリップしているかのように、ねぶた祭りの歴史コーナーの奥へと進んでいく。
2階の歴史コーナーを進むと突然大きな吹き抜けになっている「ねぶたホール」に行きつきます。そこには実際に過去のねぶた祭りに出陣し表彰をされたねぶたが展示されており、そのあまりの迫力に圧倒されてしまいました!!
▲「ねぶたホール」の写真。本番が見ることができない時に、ねぶた祭りの世界観に浸るにはこれ以上の場所はありません!日本の神話や御伽噺をテーマに豪華絢爛なねぶたに囲まれた空間は圧巻。
ねぶたの制作には、以下の段取りで1年を通して行われ、延べ300人近くのねぶた師や職人達の技術と想いが注ぎ込まれています。製作費は2000万円ほどと言われ、その8割近くが材料費や作業費に費やされます。また、祭りが地域に与える経済波及効果は280億円とも言われています。
9〜1月 題材(歌舞伎や神話、歴史など)の決定と下絵制作
2〜4月 細部の制作
4〜5月 ねぶたの制作と保管を行う小屋の建設
5〜6月 骨組み
7〜8月 電気配線・紙はり・墨書き・ろう書き・色付け
8月 台上げ
8月2日〜7日 本番
▲ねぶたの内側の展示。針金に和紙を貼って作られる。
コロナ禍の関係で残念ながら2020年・2021年のお祭りは中止となりましたが、2020年にねぶたの職人さんたちの生活とねぶた祭りの伝統を守るために、クラウドファンディングによる、ねぶた制作が企画されました。
その資金をもとに、14名の職人さん達によって制作されたねぶたが、下記写真の左側に陳列されている“特別ねぶた“です。疫病退散・病気平癒・魔除け・不屈の精神を表した、薬師如来・玄奘三蔵・十二神将が力強く躍動する、職人・題材ともに言わばオールスター制作となっています。
▲病と災禍を退け衣食住を満たす十二誓願を立てた薬師如来、中国からインドへ仏教を学びに行き苦難を乗り越え中国に仏教を布教した玄奘法師と、彼らを守護する十二神将が描かれている。コロナ禍の早期収束への願いと、逆境にも挫けずねぶたの火を絶やさぬ決意が込められている。
※あとがき
2022年にねぶた祭りは地元の人々の努力により、規模を縮小し平日開催としながらも、3年ぶりに開催されました。コロナ以前に比べると観光客は4割程度に落ち込んだそうですが、開催できたこと自体が、ねぶた祭りだけでなく青森に活気が戻るきっかけになって欲しいと、願うばかりです。
②青森での最初のディナー!
さて、青森の名産としては養殖ホタテが代表格ですが、なぜ盛んになったのでしょうか?その理由は、陸奥湾が地形的に適しているからです。東の下北半島・西の津軽半島・南の八甲田山系から流れる川が、ミネラル分を含んだ栄養豊富な水を供給しており、これがホタテの餌となるプランクトンが育ちやすい環境となっています。そのため、古くからホタテの生息が確認され、10〜20年に一度大量発生していたようです。
▲陸奥湾には、周辺の山々から栄養豊富な水が流れ込む。
青森活ホタテ専門店様HP(http://www.aomorihotate.jp)より。
更に昭和30年代にホタテの養殖が実現され、安定した漁が可能になると、今では青森市の沿岸漁業生産量および水揚げ金額の9割前後を占めている重要な特産品となっています。
夕食は、その青森特産のホタテを頂きに、郷土料理のお店「おさない(https://osanai.gorp.jp)」さんにお伺いしました!!ホタテラーメンにホタテ貝焼き味噌、ホタテ丼にホタテフライ…ホタテをふんだんに使った、青森の郷土料理を堪能できました!!
▲散々迷った挙句、ホタテラーメンを頼みました!!塩気は控えめだからこそ、ガツンと目の覚めるようなホタテのお出汁の香ばしさの一本で勝負しているラーメン。飲んだ後の締めで食べたら極上の気分やろうなぁと思った(もちろん飲んだ後でなくとも絶品のお味!!!)トッピングのホタテも特大で、新鮮さ特有の甘味もあって贅沢で幸せな気分でした。
③締めは、青森名産のシードル!
本日のラストは、JR東日本青森商業開発が2010年に開業した、A-FACTORYでシードルを頂きに行きます!青森発祥の品種「ふじ」を代表するりんごも、代表する名産として非常に有名ですが、ここでは、そのりんごを使ったシードルの生産と販売を同時に行なっており、試飲・購入ができるようになっています。
▲写真左手に見えてる建物が、A-FACTORY。青森駅から徒歩4分という立地の良さも魅力。モダンと伝統、使い心地が調和されたバランスは、国際的に評価されているインテリアデザイン会社のワンダーウォールが手掛けたとのこと。この建物は、2011年グッドデザイン賞受賞。
ここで、当ブログらしく少し脱線して、日本と青森におけるりんごの歴史を少し。(笑) 元来、日本には、平安時代に中国からもたらされて定着した和りんごがあり、中世には近江の戦国大名、浅井長政が、領内の寺から和りんごを献上されたこと対し、礼状を出したとの記録も残っています。ただし、あまり味が良かったとは言えないようで、主に薬、観賞用やお供物として流通していました。
現在広く流通している、西洋りんごが本格的に日本に入って来たのは、明治に入ってから。政府主導で全国各地にりんごの苗木が配布・試作され、明治10年に弘前で初めて結実した事を皮切りに、青森県各地で生産されるようになり、「ふじ」「つがる」をはじめとした品種が生み出され、2021年においては、りんごの県別国内生産量は全国ぶっちぎりの1位の463,000t(2位は長野県の135,400t)となっています。
▲A-FACTORYの中の様子。シードルの試飲と製造過程が見えるようになっています。また、青森各地の名店・名産も集められており、お土産を買うのにもってこいの場所。
さて、このA-FACTORYではなぜシードルが作られているかというと、上述のように日本で最もりんごが生産される青森県においては、味に遜色がない場合でも形や色の問題で廃棄されてしまう規格外品が非常に多くなっていることに対する問題意識がありました。そこで再利用・加工しシードルとして販売することで、フードロスの改善と青森りんごのさらなるイメージアップに繋げるという戦略があったそうです。
シードルの製造工程はこちらのHPをご覧ください!(https://www.jre-abc.com/wp/afactory/cidlefactory/)
▲シードルの試飲コーナー。1杯100〜600円で、8種類のシードルを飲み比べできます。シャンパンのような辛口からリンゴサイダーに近いような甘口まで幅広いバリエーションがあり、どれも非常に美味しく、甲乙つけ難かったです。。。ここは一つ奮発して、ぜひ全て飲んでみて比べて欲しいです。
以上が、新婚旅行1日目青森市での足跡でした!
青森の歴史は、厳しい自然との闘いの歴史であり、それゆえに前回記事で取り上げた三内丸山遺跡や奥州藤原氏、北畠顕家といったダイナミズム溢れる歴史や、今回記事で取り上げたねぶた祭りに代表されるエネルギッシュな文化が培われたと感じました。一方で、ホタテ漁や国産リンゴの開発など、その厳しさ故にもたらされる自然の恩恵を見事に活用してきた歴史もあり、そのしなやかさにはただただ畏敬の念を抱かざるを得ませんでした。
この記事を読んでくださった方々には是非とも青森市を訪れていただき、その歴史ダイナミズムとエネルギッシュな文化、自然の恵みを体感していただきたいです!
次回は、八戸市の旅について書きたいと思います!