歴史食い倒れ紀行

以下の事を発信できればと思います。 ①歴史の中で人々が何を考え、どう行動したか。 ②変化の激しい現代社会だからこそ、変えてはいけない本質的なもの見つけること。 ③地方に隠れた、歴史や文化、魅力を発掘し発信すること。

【青森・函館旅行日記 2日目】八戸市編

皆様、明けましておめでとうございます!

今回は、新婚旅行記2日目、八戸の旅について書きたいと思います。昨年から転勤やらなんやかんやとバタバタしてしまっており、すっかり遅くなっています。。苦笑 相変わらずのマイペース更新ですが、今年も是非とも、お付き合いいただけますと幸いです。

 


1.青い森鉄道

 2日目は、朝早起きして、八戸に出発です!青森から八戸まで、青い森鉄道に乗って1時間半ほどかけて向かいます!

この青い森鉄道は、かつて東京〜青森を結んでいた、JR東日本東北本線の一部でしたが、東北新幹線が開業した2002年に青森駅目時駅(青森県三戸市)の区間第3セクターとして分離独立したローカル線です。

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青い森鉄道の正面からの写真。真ん中に見えているキャラクターは「モーリー」


 当時乗客数の少なくなっていた当区間が、東北新幹線の開通に伴い分離されたとか(諸説あり)。おまけにその新幹線と重複するため、主力であった寝台特急の運行ができなくなるという状況でした。このような、元々の経営難に加え収益源を廃止せざるを得ないという逆境から、青い森鉄道はスタートしました。

 このような状況だったこともあり、JRから分離する際に自治体からも援助策も立案され、線路部分(下部)が青森県、鉄道事業(上部)を青い森鉄道が分担して運営を行う、「上下分離方式」を日本の第三セクター鉄道として初めて採用した路線となりました。

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青い森鉄道の横からの写真。ピンクのモーリーもいる?!


 ところがそんな逆境にあっても、青い森鉄道は軌跡の復活を遂げます。特産品を地元の農家や商店が車内で販売する「あおてつマルシェ」、地酒を楽しめる貸し切り屋台列車「酒のあでゆきみ列車」など、観光客の取り込み施策・工夫、また駅や本数の合理化と青森県との連携による学校の移転事業などを経て、近年では乗客数が回復してきているとの事です。この青い森鉄道の成功事例は、ローカル線の苦境が取り沙汰される今日において、鉄道経営の成功例として今も熱い注目を浴びているそうです!鉄道好きの筆者としては、今後も頑張ってほしいです!!


2.八戸の歴史

 さて、電車が八戸に着くまでの間に、八戸の歴史についてまとめたいと思います。

①八戸(はちのへ)の名前の由来

 そもそも八戸という名前の由来は何でしょうか?実は、“〜戸“がつく地名は、東北地方の特に青森〜岩手に数多く存在します。調べてみたところ一戸〜九戸までが存在し(四戸は存在しない。理由は諸説あり面白そうだったのですが脱線するので割愛。)、この“〜戸“という呼び方は平安時代後期に、前九年の役後三年の役奥州藤原氏の時代の東北地方での行政区として確立したそうです。つまり、八戸がその頃から存在していたとすると約1100年近くの歴史ある町と考えられます!

 

②南部氏の治世

 その後、源頼朝奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦で功を立てた南部光行(なんぶみつゆき)にこの地が与えられました。南部光行甲斐(現在の山梨県)の南部という土地に定着していた武田家の一族、つまり甲斐源氏に区分される名門家系です。南部氏はその後、東北屈指の大名として南北朝・戦国・江戸・明治時代を生き抜き現在まで存続している数少ない名門家です。筆者はかつて、「なんで日本の一番北にいるのに南部やねん。」とよく思っていたものですが(笑)、この名前は南部氏の発祥の地(現山梨県南部町)に由来するそうです。

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▲南部氏の最盛期。そのあまりにも広大な支配地域から、「三日月の 丸くなるまで 南部領 (南部領を通る間に月が三日月から満月になるという意味)」と称えられた。

 八戸はそんな南部氏率いる盛岡藩八戸藩の交通の要衝として、江戸時代に繁栄を迎えます。八戸港東廻り航路の重要拠点となり、江戸時代に起きた物流網の飛躍的発展の恩恵を受けました。また漁港としてもイカ・サバ・イワシを中心に水揚げ高全国トップ10の常連で、昭和からの統計で全国1位になった事も6度ある国内屈指の港町です。

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八戸港の航空写真(八戸港湾・空港整備事務所HPよりhttp://www.pa.thr.mlit.go.jp/hachinohe/hachinohekou/02gaiyou.html)

 

③明治後の八戸市
また、水産加工業のみならず、戦前から製鉄業など良港を必要とする産業が発展し、戦後に国から新産業都市に指定されると八戸港と豊富な水源を活かした製紙産業が新たに成長しました。このように八戸市青森県の歴史・産業の両方において非常に重要な市なのです。今回の旅を通して、今まで知らなかった産業立国、青森の一面を新たに知ることができました。


3.八戸に到着!

陸奥

 さて、青森から八戸に着いたのは朝8時ごろ、八戸のオススメは朝ご飯に食べる海鮮とガイドブックに書いてあったので、陸奥湊(むつみなと)へ!

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陸奥湊では、毎週日曜日朝に全国最大規模の朝市、館鼻岩壁(たてはながんぺき)朝市が開催されるのですが、今回は旅の日程の都合上訪れることはできませんでした。。泣

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▲館鼻岩壁朝市は、全長約800m、およそ300店が立ち並び7万人の人々が訪れる全国最大規模の朝市。https://www.ana.co.jp/ja/jp/japan-travel-planner/aomori/0000025.html


 そこで、今回は陸奥湊の名店として有名な 「みなと食堂」さんで美味しい海鮮丼をいただきました!駅前の魚屋さんが立ち並ぶ通りにある、レトロな建物の中にあるそのお店は、朝8時半の時点ですでに行列ができていました!

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▲みなと食堂の店構え。道を挟んで反対側で順番待ち。


1時間ほど待って入店すると、沢山のメニューがあり迷った末に、漁師の漬け丼(かに・ホタテ・いくら・たこ・マグロ・甘エビ・つぶ貝・サーモン・カジキマグロ・イカで¥1,850)を注文しました!!新鮮な甘味のある魚たちは、自慢の漬けダレでしっかり味付けしてあり、仕上げとばかりに卵のマイルドさが加わった至極の逸品でした!!

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▲八戸が漁師の街であることを問答無用で納得させられる、ゴージャスな海鮮丼!

 

②種差海岸

新鮮な魚がたっぷりの海鮮丼で腹ごしらえを済まし、種差海岸(たねさしかいがん)へ!

種差海岸は、三陸復興国立公園に含まれ、リアス式海岸による海岸線や、650種を超える植物樹齢100年の木々が自生している自然、春〜夏にかけて飛来するウミネコなど、その豊かな自然・風景から国の名勝にも指定されています。

陸奥湊駅からJR八戸線で30分ほど南へ進むと、大久喜駅という駅があり、そこから徒歩15分くらいで高岩展望台という穴場スポットがあります。車道の脇を歩いていくために、少々アクセスしづらいところに入口があります。それ故に、穴場と呼ばれるわけですね。。笑

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▲高岩展望台の入り口。色んな意味でここで合っているのか不安になりました。笑


入口から林の中に続く階段と道を歩いていくと高岩展望台に到着・・・と同時に、三陸リアス式海岸と太平洋の見事なコントラストが生み出す景色が目に飛び込んできました・・・・!!!夏の強い日差し、北国の涼しい風、眼下に広がる壮大な景色は、日ごろの喧騒を離れてリフレッシュさせてくれる、本当に爽やかな記憶を焼き付けてくれました。

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▲絶景かな、三陸海岸


高岩展望台を後にしたのち、海岸線の道を歩いて30分くらいで、種差海岸駅付近へ。そこには天然芝が養生してあり、自由に入ることができます。芝生に寝転がって、ウミネコの鳴き声と海の音を聞きながら暫くのんびりして、青森市への帰路に着くことにしました。

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▲穏やかな気候と景色で、歩き疲れていたのもあって、ついウトウトしてしまいました。笑

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▲レトロでこじんまりした種差海岸駅

 

八幡馬

八戸編の最後に、市内で購入した伝統工芸品である八幡馬を紹介します。

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▲ちょっとエキゾチックでいてどこか懐かしい、可愛らしい置物、八幡馬!(株式会社八幡馬様HPhttps://www.yawatauma.co.jp)

発祥については諸説あるものの、古来より馬の産地として有名であった同地において、愛馬の順調な生育を願って木彫り馬を作る風習があったとのことです。

馬に塗られた模様は、昔の花嫁の嫁入り時に用意されていた盛装馬をイメージしていると言われ、結婚や新築、出産などお祝い事に広く用いられています。

素朴だが文化の香りがする、北奥羽の雄、南部家の本拠地に相応しい伝統工芸品で、大きさもコンパクトなのでお土産や記念にとても素敵な品だと感じました!

 


八戸の旅路は以上です!八戸市は全国有数の港がある街だけあって、工業と漁業の街という印象がありましたが、加えて豊かな自然も維持されている、青森県だけでなく日本にとっても非常に重要かつ貴重な資源に恵まれた土地であると感じました。

 

次回は、3日目に行った弘前市について書きたいと思います!